satoaki’s 雑感

日々感じたこと

<立ち場>

僕は毎週金曜日を自分の仕事休みにしており、余程の用事がない限り妻とドライブを兼ねた遠出のショッピングに行っています。先週も行ったのですが、帰りの車の中で少しばかり気まずい雰囲気になりました。原因は、ジャニーズの記者会見です。

僕はいつも帰りの車の中で妻とおしゃべりをするのを楽しみにしており、最近起こった出来事とか、昔と言いますか、子供のころの思い出話などをして楽しい時間を過ごしています。ときには、少しばかり堅い話題、例えば政治や経済の話など、普段妻があまり関心を持たないであろう話についても考えを聞いたりしています。

パターナリズムという言葉があるのですが、これを簡単に言いますと「親が子供に対するような気持で接すること」です。もっとわかりやすく悪い意味合いで言い換えますと「上から目線で話す」ことです。しかし、妻とは40年以上も一緒に暮らしている間柄ですので、悪い意味を承知でパターナリズムで妻と話しています。やはり、政治とか経済については僕のほうが圧倒的に知識を持っているからです。

傲慢な自慢話はこれくらいにして話を続けますと、帰りの車の中ではたまに堅い話題を振ったりもしていますが、先日はジャニーズの会見について討論(?)をしました。僕がこの話題を持ち出したのは、数日前に行われた会見があまりにお粗末で、強い憤りを感じたからです。

憤りの原因は井ノ原副社長の発言とそれに対する一部の記者の拍手です。一部のSNSやネット上のメディアでも非難の声が上がっていますが、不公平な会見の進め方に強い抗議の声を上げる記者に対して、まるでパターナリズムで発せられるような井ノ原副社長の発言に強い憤りを持ちました。発言を要約しますと「落ち着いてください。全国の子供たちも見ていますので模範となるような大人の振る舞いをしてほしい」というものですが、これは加害者の側にいる人間が発する言葉ではありません。

また、記者の質問に対して「えっ、マジで?」とくだけた言葉遣いで返す場面もありました。これも加害者の立場に立つ人間が使っていい言葉では決してありません。井ノ原副社長は完全に勘違いをしているように見受けられます。どんな勘違いかと言いますと、自分を会見の当事者ではなくMCの立場にいる、と思っていることです。

刺激的な言葉を使うなら、井ノ原副社長は犯人側にいる立場の人間です。その立場にいる人間が糾弾するマスコミ人に対して「落ち着いてください」とか「子供の模範になるように振舞ってください」などと言えるはずがありません。

先日、塾の講師が小学生の生徒を盗撮した容疑で逮捕される事件がありました。仮に、塾を運営する社長が厳しい追及をするマスコミに対して「落ち着いてください。全国の子供が見ていますのでルールを守る大人の対応をお願いします」などと言ったなら、その会見は紛糾して非難と批判の嵐となるのは目に見えています。井ノ原副社長はそうした振る舞いをなんの疑問もなく、というよりも堂々と行っています。

井ノ原副社長の発言以上に僕が憤りを感じたのが、記者席から起こった拍手です。僕は耳を疑いました。いったいどこの世界に事件を起こした当事者の発言に拍手をするジャーナリストがいるでしょう。普通に考えて、拍手をした記者連はジャニーズ事務所もしくは井ノ原さん東山さんと個人的に親しいか、もしくは好意的な気持ちを持っている人たちであることは容易に想像がつきます。

拍手が起きた時点で、この会見は記者会見ではなくジャニーズ事務所の発表会に変わっています。1回目の記者会見のときのコラムでも書きましたように、拍手をしたマスコミ人はまさに株主総会の総会屋と同じです。会見が終わり会場を去る際の井ノ原副社長の振る舞いにも違和感を持ちました。井ノ原副社長は記者席に向かって「申し訳なさそうな」表情・態度を見せたのですが、それは加害者ではなく出演者の振る舞いでした。そうした振る舞いが、この会見を記者会見ではなく発表会に変じていたことを象徴していたように思います。キツイ表現ですが、最後まで会見をなめている印象を受けました。

井ノ原副社長に対して好意的な記者の方々は、おそらく取材対象と親しくなることで他社よりも有利な情報を得たり、取材をしてきた人たちです。芸能記者に限らず、記者という職業は総じてそうしたやり方が主流となっているようですが、一つ間違えますと裏目にでることがあります。

安倍政権時代、ある検事総長が任命されることに対して物議を醸した騒動がありました。政権にとって都合のいい人事を断行しようとして画策していたことが表面化したからですが、そのときにやはり注目を集めたのがその検事総長候補と「麻雀をしていた新聞記者の方々」です。麻雀を一緒に囲むほど親しい関係だったことに批判が集まりました。

マスコミの世界では取材対象の懐に入り込むことが取材の基本という考えがあるようですが、あまりに取材対象に近づきすぎてしまいますと、公平な取材ができなくなる恐れがあります。政治の世界には「番記者」と呼ばれる政治家を担当する記者がいますが、「番」とは「当番」の「番」ですので政治家と常に行動をともにすることになります。そうなりますと自然に親近感が増しますので、ときには一心同体のような感覚になることもあります。実際、昭和の時代は番記者から首相の相談相手になり、政権の内部に入り込み、「政治を動かしている」と豪語しているマスコミ人もいました。

しかし、今は昭和ではなく令和です。「和」は同じですが、はじめの一文字は変わっています。かつてのようなマスコミ人の常識が通用しない時代になっています。井ノ原副社長の発言に拍手をした方々は昭和の感覚が抜け切れていない人たちです。ジャニー喜多川氏の性加害を報じたのは外国のテレビ局ですが、外圧がなければ真相を解明できなかったことを恥じることが令和のマスコミ人に求められる第一歩です。

先週は日本維新の会に所属する鈴木宗男衆議院議員がロシアを訪問したことも問題視されました。鈴木氏も昭和の感覚が抜けきれていない感じがします。ご存じの方も多いでしょうが、鈴木氏は昭和の時代からロシアに精通していることで有名な議員でした。「有名」というよりも「ウリ」にしているという表現のほうがふさわしい感じがしますが、ロシアに親しいことで議員としての存在価値を高めていたように思います。

そうしたことが今回のロシア訪問の背景にあると想像しますが、今の時代に即していないのが誰が見てもあきらかです。穿った見方をするなら、自らの存在価値がなくらないようにするために訪問をした可能性もあります。その鈴木氏を常に応援しているアーティストに松山千春さんがいますが、松山さんはなにがあろうとも地元の鈴木氏を応援していました。

松山さんは昭和の時代に、やくざの友人を「それでも友人」とかばう発言をして物議を醸したことがありました。当時は「義理堅さ」が信頼性の証になっていましたが、今の時代では通用しなくなっています。同じことが山下達郎さんにも言えます。山下さんはジャニー喜多川さんの性加害が問題になったあとも、「ジャニー氏に対する恩義は忘れない」と発言して非難されました。

お二人と同様に、昭和時代に青春を過ごして僕ですので、お二人の気持ちもわからないではありませんが、やはり時代に合わせることは必要です。お二人はアーティストという立場ですので、幾らかは許容できる気持ちもありますが、日本テレビで夜のニュース番組のメインを務めている有働由美子さんが井ノ原氏を擁護するようなSNS発信をしたのは、いただけません。

有働さんは歴としたニュース番組の看板を背負っているキャスターですので、社会的見識は普通の人以上に求められます。その有働さんが井ノ原氏を思いやる発信をすることは、井ノ原氏を支持することと同じです。それはすなわち拍手をした記者の方々に同調することにもつながります。いくら親しい関係であっても正しいことと間違っていることをきちんとわけることはキャスターとしての使命です。有働さんが井ノ原氏をたしなめることを願っています。

じゃ、また。