satoaki’s 雑感

日々感じたこと

<車は体を表す>

*この記事は「脱サラをする前に」というサイトから転載したものです。


スポーツニュースではプロ野球のキャンプの模様が報じられていますが、キャンプがはじまる前に話題になったのがロッテの佐々木朗希投手の「選手会脱退」のニュースでした。このニュースがきっかけで知ったのですが、今年からドジャーズでプレーする元オリックスの山本由伸投手も脱退していたそうです。

僕は先月「勝ち組の論理」と題して漫画家業界について書きました。現在、「セクシー田中さん」問題で揺れている漫画業界ですが、その漫画業界は新人の方々が生きていくのにはかなり過酷な環境になっています。そうした環境を、成功した漫画家の先輩たちには、あとから続く後輩たちのために「新人漫画家の不利な環境を改善する義務・責任がある」とつづりました

僕は、こうした発想はプロ野球の世界にも通じると思っています。もちろんプロ野球の世界では弱肉強食が基本的な考えであることは承知しています。ですが、選手にとって不利・不公平な環境が未来永劫続くのであれば、間違いなくその業界は廃れます。子供たちが「将来就きたい職業」として選ばなくなるからです。

佐々木投手や山本投手が選手会を脱退した理由として「加入していても意味がない」と話しているようですが、選手会があったからこそ、現在の「日本人のメジャー移籍が珍しいことではなくなった」のです。実質的な日本人選手のメジャー移籍は当時近鉄に在籍していた野茂英雄投手ですが、野茂投手がメジャーに行くときは経営側はもちろんですが、マスコミからも轟轟たる非難・批判の嵐でした。それらをはねのけての野茂投手のメジャーでの大成功ですので、僕の「野球選手で最も尊敬する選手」は野茂さんです。

実は、野茂騒動が起きた当時も選手会は存在していたのですが、形だけのものでした。ですので、選手側が経営側に対して待遇改善などを訴えることなどはご法度でした。しかし、2004年にプロ野球再編問題が起きたことがきっかけで、当時の選手会会長・古田敦也さんが経営側とストライキ決行ギリギリまで戦い、ようやっと選手側が経営側に意見をする道を作りました。このときの古田さんの奮闘が、それ以降の選手たちの待遇改善につながったのは間違いありません。

佐々木投手や山本投手が今の状況・環境にいられるのは、こうしたこれまでの選手会の活動があったからです。古田さんが権利を勝ち取る前までは、選手は経営側の言いなりになるしかありませんでした。今回、佐々木投手は契約更改を越年しましたが、以前では考えられないことです。現在、選手たちが球団に意見を言えるのは、これまでの先輩方の努力があったからこそです。そうしたことを考慮に入れずに選手会を退会するのは、先輩方の努力をないがしろにするものです。

言うまでもありませんが、佐々木投手や山本投手は球界の中では成功者です。成功者には成功した人だけに生じる義務があると思っています。僕は大分前ですが「ノブレスオブリージュ」というタイトルでコラムを書きました。「地位の高い人には、それにふさわしい責務がある」という意味ですが、成功者という高い地位にいる人が「ノブレスオブリージュ」を実践してこそ社会はよりよいものになります。大谷選手が日本の子供たちにグローブを贈ったのもその一つではないでしょうか。

昨年のことですが、ツイッターに盗難車発見依頼の投稿がありました。盗まれた人が自分の車の写真を投稿して、「見かけたら教えて」というものでしたが、ある方がその投稿に反応して「無事に見つかった」という顛末でした。盗難車を発見した方は犬の散歩を日課にしていたそうで、散歩の途中に発見したようです。元々「車が好き」な方で、毎日散歩をしながら駐車場などの車を見るのを楽しんでいたそうです。

僕は「心に残る言葉」というコーナーを作っているのですが、その盗難車を発見した方の言葉がとても印象に残っています。その方は次のような言葉を残していました。

「車を見て、人を見ると妙に納得する」 散歩マスターSさん

「名は体を表す」ならぬ「車は体を表す」ということですが、車を財力やステータスのために乗っているのではなく、「心の底から車が好き」という思いが伝わってくる言葉です。成功者が高級な車や高価な腕時計を身につけたがるのは、成功者であることを世間にアピールしたいからです。先ほどの言葉は、「車」という目に見えるモノから、その人の心の中に潜んでいる自己顕示欲をうまく掬い取っています。

数年前、池袋で80歳過ぎ高齢ドライバーがブレーキの踏み間違いで、交差点にいた母子を死傷させた事故がありました。このとき加害者は元高級官僚だったのですが、重大な事故であったにもかかわらず逮捕されなかったことから、「上級国民は逮捕されない」と話題になりました。「上級国民」という言葉にはその裏に「傲慢で尊大で不遜」な意味合いが含まれていますが、僕はこの元高級官僚はそうした人ではないように思っていました。

理由は、運転していた車が高級外車ではなかったからです。あれだけの華々しい経歴の持ち主であれば、十分高級外車に乗るだけの財力・資産は持っているはずです。それにもかかわらずecoをウリにしているプリウスに乗っていたのですから「傲慢で尊大で不遜」であるはずがありません。加害者は事故当初は「車の不具合」を訴えていましたが、最終的には罪を受け入れました。真実はわかりませんが、「遺族の気持ちを汲んだ」と僕は想像しています。

実は、池袋の事故からさかのぼること1年前に、渋谷でも似たような事故が起きていました。元東京地検特捜部長という役職の上級国民の方だったのですが、このときの加害者は外車でこそありませんでしたが、十分に自己顕示欲を満たせる高級車でした。ちなみに、この事故でも加害者は「車の不具合」を主張しており最高裁まで争いましたが、有罪が確定しています。

この2つの事故を見ていますと、上級国民にも二通りの人がいるように思います。自己顕示欲が強い人とそうでない人です。前者はどうかわかりませんが、後者は間違いなく自己顕示欲がない人です。もちろん「自己顕示欲」の有無で人間性が決まるわけではありませんが、「車を見て、人を見ると妙に納得する」の「納得する」には注意が必要です。

高級車は「自己顕示欲」のみをアピールしているわけではありません。普通の人の何倍も努力をして苦難を乗り越えてきた経験を連想させることもあります。反対に親の七光りで高級車に乗っていることもあるでしょうが、そのどちらを連想させ「納得させる」かはその人の人間性が決めます。

例えば、どれほど着飾ってきれいな人だとしても、その人が薄汚れていてなんの手入れもしていなそうな汚い車に乗っていては、心の中は「きれいではない」と想像します。反対に、高級車から降りてきた人がどれほど汚い恰好をしていても、その高級車にふさわしい振る舞いをして、雰囲気を醸し出していたなら誰もが「高級車」に納得するはずです。要は、「車」と乗っている人の「人間性」がふさわしいかどうかです。車と人間性がマッチしていないときは、当然ですが誰も「納得」などしません。

どれほどの高級外車に乗っていようが、人間性が伴っていなければ誰も「納得」しません。結局、大切なのは人間性です。高級車に乗っている人だからといって、「傲慢で尊大で不遜」で自己顕示欲が強いということでもないはずです。

だって、大谷選手がポルシェに乗っていても「自己顕示欲が強い」なんて思わないじゃないですか。

じゃ、また。