satoaki’s 雑感

日々感じたこと

<謝罪会見>

先週の大きなニュースとなりますと、やはり「ジャニーズの会見」でしょうか。夜のニュース番組でも大きく時間を割いていました。実際の会見時間は4時間以上ということのようですが、ニュースなどで報じられるのはその中の一部分だけでした。時間に制約がありますので当然ですが、その「切り取り方」で会見時における発言の印象が大きく変わってきてしまうのが気になるところです。ある意味、その「切り取り方」がそのニュース番組のジャニーズ事件に対する捉え方・考え方を表しているともいえそうです。

 

もちろん僕は会見すべてを見ているわけはありませんが、会見模様を伝える番組はニュース番組、情報番組などいくつか見ました。ご存じの方も多いでしょうが、出席者は東山新社長、ジュリー前社長、ジュニア組織の井ノ原新社長、そして弁護士の4人でした。この会見についてはいろいろな専門家の方々が解説していましたが、誰も触れていないことで僕が気になったことが一つありました。

 

それは4人が壇上に登場してきてテーブルの前に立ち一礼をした場面です。この会見は被害者の方々に対して謝罪の姿勢を見せる意味合いもあるはずですので、この一礼には「お詫び」の気持ちが込められているはずです。そして、一般的には日本人がお詫びの意味を込めて一礼をする際、通常は両手を身体の前で重ねて前傾姿勢を取り頭を垂れます。その姿勢が一般的な「お詫び」の姿勢で、前傾姿勢は深ければ深いほど「お詫び」の気持ちが強いことを表しています。

 

テーブルの前に立ち止まった4人のうち3人は両手を身体の前に重ね、前傾姿勢を取っていました。しかし、一人だけ両手をうしろで重ね前傾姿勢をとっていた人がいました。井ノ原新社長です。両手をうしろで重ねた前傾姿勢は「お詫び」ではなく、「あいさつ」です。僕は井ノ原新社長のこの前傾姿勢をニュース番組で見て「んん?」と思ったのです。

 

繰り返しますが、「切り取り方」で印象はかなり変わってきます。それを承知で書きますが、記者の質問に答える井ノ原社長の言葉遣いに、東山社長やジュリー前社長とは少しばかり異なったニュアンスを感じました。簡単に言ってしまいますと、それは「お詫び」の気持ちが薄いということです。

 

例えば、記者の質問に答えていた中で「これは自分たちだけではなく、マスコミの方々と一緒に考えていくべきこと」という言葉がありました。もし、「自分たちの非」を強く認識しているなら出てこない発言です。なぜなら「マスコミにも責任がありますよ」と暗に責任転嫁ともとれる発言だからです。もう少し強い言い方をする「責任逃れ」と映ります。本当に「お詫び」の意志があるなら出てこない言葉です。

 

また、記者の質問に答える際にその記者の名前を言ってから発言する場面もありました。そこから想像できるのは井ノ原社長がその記者と懇意とは言わなくとも、それなりに親しい関係であることです。そうした光景を穿ってみますと、「出来レース」という連想さえ感じさせました。

 

会見とは違いますが、株式を上場している企業は株主総会という年に一度株主に業績などを説明する場があります。そうしたときに経営者側は、経営のやり方に異論や批判的な意見を持っている株主から責められるのを避けるために、意図的に株主が座る席の最前列のほうを身内で固める手法をとっていることがありました。「ありました」と過去形にしましたのは、かつてはそうした株主総会が多かったからですが、そうした状況が「総会屋」という反社会的勢力の増強に手を貸してもいた部分もありました。

 

しかし、今は法律で「総会屋」は違法になっていますが、総会屋の全盛期は大手企業でさえ総会屋に対して便宜を図っていたほどです。僕が一番記憶に残っているのは第一勧業という大手銀行の頭取がそれを苦に自殺をした事件です。一度総会屋に入り込まれてしまいますと手を切るのは至難の業のようでした。

 

話を戻しますと、井ノ原社長が質問した記者の名前をわざわざ口にしてから質問に答えるようすを見ていて、僕は株主総会を思い出しました。それが「出来レース」を連想させた理由です。真相はわかりませんが、「お詫び」の会見であるはずの場で、記者の質問に対して「マスコミも同罪、一緒に考えていきましょう」と論点をずらした方向にもっていったところに、僕は「違和感」を持ちました。仮に、もっと批判的な記者がいたならそうした返答に反発し、さらに追及を強めていたのではないでしょうか。そうした場面が一切なかったところが、この会見自体を僕に「出来レース」と思わせた要因です。

 

そういう疑問点もあるのですが、4時間以上という長丁場をこなしたのは、やはり立派です。この会見に対する覚悟と誠実さを感じさせました。先ほど株主総会の話を書きましたが、経営側が総会屋を活用するのは、株主総会をできるだけ短時間で終わらせることが目的です。それに比べますと今回の会見は格段に良心的です。

 

ジュリー前社長について私見を述べますと、実はジュリー氏が会見に出てくるまで、どちらかと言いますとあまりよい印象は持っていませんでした。ビデオでの謝罪のみで表に出てくることがなかったからですが、会見でのジュリー氏は事件に対して真摯に向き合う姿勢が感じられて好感でした。

 

ジャニーズの事件と同時期にマスコミで大きく報じられたのがビッグモーター事件です。この事件は収束の気配が見えるどころか、さらに大きな事件に発展しそうな状況になっています。そのビッグモーターの創業者でもあった社長は事件発覚後、早々と表舞台から去っています。一応「責任をとる」という名目ですが、僕からしますと単に追及の手から逃れる目的のように映り、「卑怯」という言葉が思い浮かびました。

 

それに比べますと、社長の座を退きながらも「代表取締役」としてとどまっているジュリー氏は立派です。「代表取締役」は法的に責任を負うことですので事件に対する覚悟をうかがうことができます。ビッグモーターの創業者のように「責任をとる」という体で代表取締役から退くこともできたはずですが、逃げも隠れもせず「補償を終えるまで」と語っている姿はとても潔いものを感じました。

 

余談ですが、4時間という長時間だったからだと思うのですが、後半に映し出されるジュリー氏の表情を見ていますと、とても失礼な表現で申し訳ないのですが「普通のおばさん」のように思いました。本当にそこらへんにいる「普通のおばさんの表情」に見えたのです。非難とか悪口という意味ではなく、純粋に「普通のおばさん」のような表情になっていたのが印象的でした。

 

まだ事件がここまで大きくなる前、ある雑誌にメリー喜多川さんのインタビューが記載されたことがあります。その記事には「SMAPが解散するときの様子」も書かれていたのですが、当時「SMAPの解散」には「SMAP」のマネージャーとジュリー氏の確執が関係していると噂されていました。そのインタビュー記事にはそうしたときのことも書かれていたのですが、そこにはメリー氏の実の娘であるジュリー氏とマネージャーとの対立が実際にあったことが書いてありました。

 

当然、メリー氏は実の娘であるジュリー氏の肩を持つ発言をしていましたが、読む側としては反対にジュリー氏に対して「親の七光り」というあまりよい印象を持たないものです。ですので、先入観としてジュリー氏に対して「わるもの観」があったのですが、会見を見る限りそこまで「わるもの」ではないように思いました。しかし、今後の対応によっては僕の評価も変わるかもしれませんが、被害者にきちんとしっかり対応する姿勢がみられたのがなによりも収穫です。

 

東山社長は会見で補償について「法の枠を超えて」と発言していましたが、現実的にはかなり難しいものがあります。過去の事例を見る限り、法律の枠内における補償でさえ決着していない例がたくさんあります。そうした中で「法の枠を超えて」と述べてしまったことはさらに解決を難しくするのではないでしょうか。

 

どちらにしましても、解決までには長い年月がかかることが予想されます。被害者の方々がいくらかでも納得できる方向に進んでいくことを願っています。

 

じゃ、また。